2010年8月31日火曜日

8月最後の日。

とうとう8月も最後の日になりました。
セミナーの準備も大詰めです。
バヤールも忙しそうにいろんなところへ行ったり、仕事をしているので、なかなか細かい話をする余裕がありません。ほかのメンバーの意見も、バヤールを通してでないと聞けないし、伝えたと思っていてもちゃんと伝わってなかったりしてて、ここにきて、やはり言葉の壁はきついなぁと・・・
少し弱音ですが。
残り1週間、できるだけ話をしようと思っています。

日曜は、JICAの多田羅さんという人に誘ってもらい、JICAの人たちと一緒にホスタイ国立公園にタヒを
見に行きました。
タヒは一度野生は絶滅し、動物園で繁殖させたものをもう一度自然に戻して、自然繁殖に成功した、モンゴルに昔から住んでいる、馬のことです。警戒心が強いので、そんなに近くで見ることはできないのですが、だだっぴろい公園に群れを作って生息してましたよ。
多田羅さんは、もともと日本で養護学校の先生をしていて、モンゴルでは障害児の施設に配属されたそうです。
モンゴルでの障害者への支援の難しさを、痛感しているとのことでした。
まずモンゴル人と日本人の文化はかなり違います。特にモンゴルは特殊で、遊牧の文化がまだ根強く残っています。
よって、所有の概念もぜんぜん違うし、継続して、一貫して何かをする、という概念があまりないそうです。行き当たりばったりというか、そのときの流れに身を任せているというか・・・計画を立ててこつこつ
それに向かうのが苦手というか・・・
身内意識が強いので、身内にはやさしいし手厚いけど、他人にはそうでもなかったり、他人を家に入れる怖さがあったり・・・
そのほかにも、時間も守らないし、けど自分の休憩時間はきっちりとるし、夏はみんなほとんど田舎に帰ってしまって町が機能しないし・・・
等々、まぁよくない面ばっかり並べましたが、この文化のモンゴルの中で、どのような仕組みを作っていけば自立へつながっていくのか・・・
試行錯誤やなぁと思います。
多田羅さんは、その中でも、バヤールのCILメンバーは、本当に志高く頑張っていると思う、と言ってはりました。バヤールのCILにかかわるようになって、CILに興味が出てきたそうです。
JICAで来ているのは障害児施設だけど、バヤールの事務所に来ているほうがおもしろいって。
今度のセミナーにも通訳としてきてくれます。
私には炊飯器貸してくれたりインスタント味噌汁くれたり、1日泊めてもらって、お風呂も貸してくれました。
今事務所はここ何日かお湯が出ないし、昨日は昼間停電してたしで・・・
助かりました。

昨日からはゲルレの家にホームステイしています。

ゲルレは、そんなに英語が話せないので、ほんとに片言で会話するしかないのですが、CILの仕事は本当に楽しいと言っていました。
こないだ事務所にミシェルという、CPの20歳の女の子が来ていたんですが、
(ミシェルは、緊張具合は畑くんぽくて、さらに常時首を振り続け、言語障害がある感じです。)
ミシェルのような障害者がもっと事務所にきてほしい。そのためには何が必要か?彼女たちにできる仕事は何か?とか、聞きたいことはいっぱいある、と言っていました。
できる範囲で簡単な英語で説明しましたが、このセミナーの期間、通訳がいる中で、もっとたくさん話ができたらいいなと思います。

2010年8月27日金曜日

日々勉強

昨日はバヤールの家に行ってきました。
話しには聞いていたけど、本当に5階まで階段であがっていましたよ。毎日大変やなぁと思います。家の中はすごくきれくて、お母さんはすごく優しい人でした。
私のために、自家製ヨーグルトも作ってくれていました。
ざっきーさんからもらったお土産も、大事そうに飾っていましたよー。
ゆっくり話ししたかったんだけど、仕事が終わってから行ったので遅かったし、バヤールの家は少し遠くて、バスを乗り継いで帰らないといけなかったので、あまりゆっくりできず・・・
帰りは、1つ目は普通のバスだったんだけど、2つ目のバスが小さいマイクロバス。
定員はおそらく10人だろうと思われるバスに、19人乗ってました。
私は座席に半分も座れていない状態で(何しろ2人がけに4人座ってるから)バスが停まってドアが開くたびに落っこちそうになりながら、なんとか事務所に帰ってくることができました。
ドーギーが一緒に行ってくれてたからよかったけど、私一人では絶対帰ってこれてないと思います・・・

ついでに言っておくと、モンゴルのバスはほんとに不親切!
まずバス停の標識がない。
タイムテーブルもない。
路線図もない。
一応バス停の名前はついているらしい。
それぞれのバスには「~行き」って書いてあるんだけど、全部モンゴル語だから私にはわからないし、ほとんどのバスは完全に停車せず、ドアがあいたまま徐行しながらある程度客が乗ったかなーってとこで発車する。
乗ってからも、「次は~」みたいなアナウンスは一切なし。
いきなりいつもと違うところで全員降ろされたりする。
よくわからんラジオが流れてたり、音楽が流れてたり。
さらにスリが多発しているらしいです。
いつも乗るのに必死です。
外国人は、バスの番号を覚えて、降りたい場所の雰囲気を覚えるしかありません。

問題は外国人だけでなく、障害者にも使えないこと。もちろん階段があり、入り口の真ん中にポールがあるので、障害者は基本的にバスには乗れません。
前にも少し言ったとおり、障害者はお金がないので中心から離れたゲルに住んでいる人が多いです。
ウランバートルは電車のない町だし、市民の足はバスになります。
でも障害者はバスに乗れないため、移動はタクシーになります。
参考までに書くと、バスは300トゥグリク(20円)タクシーは中心地から事務所まで2,500トゥグリク(160円)8倍です。ゲルまで行くともっとお金はかかります。
お金ないって言ってるのにそんなしょっちゅうタクシーに乗れるはずもありません。
てことは家から出て来れない・・・出てきても階段だらけ段差だらけ・・・
バリアフリーの問題は、モンゴルではほんとにいつもいつもいつも直面させられます。
自立やどうのこうのよりまずバリアフリーをなんとかせなあかんやろ!って思いそうになるくらい。
でもバヤールたちはバリアフリーにかたよらず、自立のための介助者の仕組みも両方とも同時に進めていこうとしています。
ほんとにいろんな団体と関わっているし、いろんなことを平行させて毎日忙しくすごしています。
そんなに手を広げて大丈夫なんかな?ってちらってバヤールに言ったことがあるのですが、モンゴルにはCILがここしかない。だから、どんな団体にも、どんな人にもCILの存在、活動内容を知って欲しい。それを伝えれるのは自分たちしかいないから、とりあえずどんな人とも会って、伝えるようにしている。聞いた上で関わらなくなっていく人もいるし、協力する人もでてくる。そうやってCILを広めていきたい。って言っていました。
自分は、この人はこういう分野だから自立生活センターとは考え方が違うんや、とか思ってしまってた部分があったな、と改めて気づかされました。
あの、どんな人にも伝えようとする姿勢は、ほんま見習わないといけないなと。
日々勉強ですねー。

2010年8月25日水曜日

「セミナーまで残り12日!」

事務所のホワイトボードには、
「セミナーまで残り12日!」
という言葉が書かれています。
毎日なんやかんやとセミナーの準備してますよー。

まずビザのこと。カンボジアとパキスタンはモンゴル大使館がないため、モンゴル空港でビザが取れるように交渉し、できるとは言われたんだけど、まだ北京から返事がきていません。
シャフィックに、とりあえず先にチケット取ってくれ、と伝えてたんだけど、
「ビザがないとチケット取れません~」って・・・
「カンボジアでは取れてたよ?」
というと、
「パキスタンは違うんですね~」
って言うからそうなんかぁ・・・と思ってたんだけど、昨日の晩になって
「チケット取れました」
なんやったんやろ・・・。でも早くビザのこと、北京から返事がきたらシャフィックも安心すると思うんですけどね。

昨日はモンゴル通信の人がインタビューにきて、セミナー開催お知らせを伝えました。
モンゴル通信は日本語で、さまざまなモンゴル情報を週1回発行している新聞です。
それ以外にも、新聞、TV、ラジオ、さまざまな媒体を通して、自立生活センターの存在、9月にあるセミナーを社会に伝えています。特に今週はラッシュです。
もちろん、セミナー当日も取材に来てくれます。
3日目のデモの全体集合場所、スフバートル広場の使用許可もおりました。
27日にはグループディスカッションMC会議も開かれます。
送迎用のバスも確保しました。
交流会の出し物も調整・・・。
横断幕のデザインも完成。
セミナーのプログラムの確認もしつつ。
5、10日の観光のことも考えながら。

いろいろやっています。

最後に、セミナーと関係ないのですが、アベラさんがぜひ日本のみんなに伝えておいてくださいと言うので、ここに書いておきます。

ある日本人が泥棒を捕まえるロボットを発明した。
アメリカで使うと、1時間に100人の泥棒を捕まえた。
フランスで使うと、1時間に200人の泥棒を捕まえた。
モンゴルで使うと、5分でロボットが盗まれた。
それくらい泥棒が多いので気をつけてね♪

・・・というモンゴリアンジョークです。

2010年8月24日火曜日

モンゴルに来る人へ

モンゴルに来る人へ、少しモンゴル情報を書いておきます。

・お金
円で持ってきたほうがいいです。ドルはすごい勢いで下落してます。
物価について少し書くと、ミネラルウォーター500ml 20円 ミニッツメイド500ml 50円 ボーズ(肉まん)20円 ホーショル(揚げ餃子)30円 ファーストフードのピザハーフ150円・・・と、普通に暮らせば全然お金は要りませんが、レストランに入れば普通に1食1,000円くらいします。

・気候
ガイドブック通り、暑いときは半そででいけると思いますが、基本的には寒さ対策を重視して来てください。8月の日中でも普通に7℃の日もあります。風が吹くとかなり寒いです。ダウン持ってきていいレベルです。ツーリストキャンプとデモの時はかなり寒いと思います。
晴れるとかなり日差しが強いです。さえぎるものもないのでだいぶ焼けたと思います私は。
湿気がなく、乾燥しているので、のどの弱い人は注意。砂埃で結構やられます。
その代わり雨が降ると道路はほんまに泥水の水溜りだらけになります。穴の開いたクロックス注意。

・洗濯
コインランドリーはありません。どうしても、なら、ニューメトロかなんか名前忘れましたが、クリーニング屋さんが、1箱(たいして入らない)600円くらいで乾かしてたたむところまでやってくれます。所要時間2時間。

・言語
モンゴル人は基本英語通じません。びっくりするくらい。My name is・・・からThank you からExcuse meまで何にも。もちろんボランティアは日本語か英語が話せる人なので問題ないですが、自分で何かしたいなら、絶対指差し持ってきてください。ロシア語のほうがまだ通じるみたいなので、喋れるならそれでもいいです。
サエン バエノー(こんにちは)
ミニー ネル アオイ(私の名前はアオイです)
バイラッラー(ありがとう)
くらいはモンゴル語ですらっと言えるといいですね。
「ソニン ヨー バエン?」(やぁなんかあった?)
「タエワンダー」(なんもないよー)
という軽いお決まりの挨拶できると結構喜ばれます。

・モンゴル障害者
昔の日本と同じように、障害は自分のせい、だから家の中にこもりっきりなのも、バリアだらけで何もできないことも、それが当たり前の生活。やりたいことなんて想像もできない。
そんな人がたくさんいます。
自分の経験を踏まえて、なんだってできるんだってこと、自分たちが運動してその社会を作ってきたんだってこと、たくさん話してください。
それから、日本の障害者、金持ちだと思われてると思いますよ。
お金がないから運動に参加できないって言う人もたくさんいるそうです。自分たちはけして金持ちではないし、そのお金(介助費も含めて)はどのようにして出ているのか、全部運動で変えていけばいいってことも伝えてほしいです。

・ミニ情報
朝青龍のサーカス場は今問題になっているそうです。
2年前に朝青龍の家族が買い取ったんですが、それからは、以前は毎日あいていたサーカス場もよく休むように。給料も下がり、サーカスが休んでいる間は給料が支払われない。
そんな状態で、上手な人はほとんど外国へ行ってしまって、いい人材が残っていないそうです。

何か聞きたいことがあればコメントを・・・と言いたいところですが、そういうわけにいかないので、このへんで。
まぁ羊がだめでも韓国料理もあれば日本料理も少しはあるし、服だってこっちで買えるし、なんとかなる国です。

2010年8月23日月曜日

週末の出来事。

昨日今日と、モンゴルは結構暑いです。
多分これが本当のモンゴルの8月なんでしょう。

土曜は、ウランバートルから50キロ程離れた場所にある、リハビリテーションセンターへ、バヤール、ズラス、チョカ、ガンバ、ドーギー、私で行ってきました。
(アベラさんはモンゴルとロシアの障害者団体会議?みたいなのが金曜にあって、土曜はロシア障害者の観光に通訳としてついていきました。)
このリハビリテーションセンターは、2000年にできたらしく、モンゴルのほとんどの障害者がここへ通って、一通りのことができるまでリハビリします。1日50人くらいの人が訪れるそうです。
バヤールたちもここに通っていて、ここでみんなと出会いました。
ここがバヤールたちの活動の原点です。

障害者になって、外出もしたくないし、どうやって死のうか、と考えていたバヤールも、ここに来て、チョカたちに出会い、いろんな話をし、どんどん元気になっていったそうです。
リハビリをしに来るというより仲間に会いに来る場、といった感じです。
所長のトヤさん(せき損)もいい人そうで、思い出話や近況を報告しあってました、多分。

ここは、ウランバートルから50キロ離れているので、もちろん回りは見渡す限り草原、山、ヤギ羊牛馬しかありません。
せっかくなので、トヤさんの知り合いの遊牧民の家を訪問。
馬乳酒をごちそうになりましたが、私にはちょっと無理でした・・・みんながぶ飲みでしたけどね。
馬の乳搾りも見せてもらったし、羊も1匹捕まえるとこも見ました。
その横で私はなぜかヤギになつかれて、車に乗るまでずっとついてこられてました。
(その後、羊はズラスの手によって息の根を止められてました。ズラスは障害者になる前遊牧民だったので)

夕食を食べて、バヤールたちは話をしていたので、私はドーギーと一緒に散歩へ。
小高い山があったので、それに2人でのぼり、夕日を見ました。
鳥と羊の鳴き声と、風の音しかしない、360度見渡す限り低い山が連なっています。
こんな自然の中で、遊牧民としてシンプルに暮らすのも、きっと悪くないんだろうなぁ、と思える景色でした。

夜は星を、ということで結構遅くまでいましたが、ウランバートルから50キロしか離れていないこと、さらにこの日は月がめちゃめちゃ明るい夜で、空一面星!といわけにはいきませんでした。

でも、やっぱりモンゴルに来たら、田舎に来ないとほんともったいないな、と改めて思った一日でした。

そうそう、金曜の夜は、ツーモとその友達と、ディスコにも行きました。
モンゴルで会う人会う人に絶対ディスコを勧められるので、まぁせっかくだから、と思って行きましたが・・・モンゴルではお酒は飲まないと決めてましたが、飲まずにはおられん感じで手を出してしまいました。
一人、めちゃめちゃ頭を振って長い髪を振り乱して踊る女の人がいて、その人を見てるのはおもしろかったけど、やっぱりディスコはそんな好きじゃないなぁ・・・

2010年8月19日木曜日

モンゴルデビュー

今日は、FMラジオに出演してきました。
昨日がアベラさんとゲルレが9月のセミナーのこと、障害者の自立のことを話し、今日は私がなんでモンゴルに来たか、どんなことをやっているか、それから日本の文化や日本とモンゴルの違いについて話しすることに。
通訳がぎりぎりに来たので、なんの打ち合わせもなくスタート。
1時間の生放送でちょっとぐだぐだになりがち(通訳さんと私の意思疎通が・・・)でしたが、なんとか終了。
「日本の歌で好きな歌を歌ってください」とか無茶ぶりも・・・
でも、リスナーからチャットがきたり、電話がきたりしていたので、ちょっとでも、モンゴルの若い人たちに今私たちがやってることが伝わってたらいいなぁ。と思います。
さらに、急遽、その通訳してくれた人がやっている(この人もラジオ局の人だった)、日本向けのモンゴル情報(日本語)にも出演することに。日本にも私のモンゴル生活(と私が日本でやっている活動)が流れていることだと思います・・・
それから、今日も引き続き通訳探し。
実は私日本人墓地跡に行った時に、モンゴル人の女性に日本語で話しかけられて、「何かあったらいつでも連絡してね」、と言ってくれてたのを思い出しました。
昨日だめもとでその人に連絡してみると、OKの返事が!
今日、事務所に息子のハシャと一緒に来てくれました。
お母さんのほうももちろん日本語が話せるのですが、このハシャが日本に7年住んでいるということで、日本語ぺらぺら。
セミナーを手伝ってくれることになり、さらにハシャの友達2人も通訳ボランティアとして来てくれることになりました。
ハシャは和歌山で日本語を習い、今大阪に住んでいるのでめちゃめちゃ関西弁です。なんか久しぶりに関西弁で話できて、かなり盛り上がりました。
それからそのお母さんの計らいで、月曜はモンゴル通信に出演することに。
この親子、いろいろ力になってくれそうです。

2010年8月18日水曜日

通訳探し難航

昨日は、午前中は労働福祉局の一番偉い人(部長?)に会いに行き、9月のセミナーの地方参加者の交通費等のこと、9月から始める介助者プロジェクトの件の最終確認を行いました。
「お金がないから・・・」という、役所お決まりの言葉を言っていたんですが、とりあえず、セミナー参加者のお金は地方の役所が負担してくれることに。
介助者プロジェクトは、来年からにしてくれないか、と言われましたが、それは遅すぎる!という話をし、またセミナーが終わったら話し合うことになりました。
彼がセミナーで政府関係者代表あいさつをしに来るので、今回のセミナーでいかに障害者にとってこの活動が必要か、というのを見せれるかが、重要になってきました。
ちなみにこの人、軽いポリオです。

昼からは、通訳者探しに、日本語学校めぐりをしました。
でも、モンゴルは、どこもかしこも夏休みでみんな田舎に帰り、どこへ行っても、9月にならないとみんな帰ってこないからはっきりした返事ができない、とのこと。
しかも9月から学校が始まるので、先生も授業があるからどうなるかわからないと言われ、一応連絡をもらうことにはしてますが、直前過ぎるしそんなん期待して全滅やったらセミナーが成り立たないし、困り果ててました・・・。

最後に、モンゴル日本文化センターへ。ここでも日本語の先生が集まるらしいのですが、会議中で会えず。どうしようかなぁと思ってると、ロビーで何人かが新聞や本を読んでる姿が目にとまりました。
だめもとで、声をかけてみよう、と思い、「誰か日本語わかる人いますか?」と言ってみました。
ほぼ無視されましたが、1人だけこっちを見てくれた人が!日本語で今回のセミナーのことを説明し、通訳できるボランティアを探している、と伝えると、「大丈夫ですよ」と言ってくれました。普段日本語の先生や、通訳をやっている人でした。きれいな人ですよー!

このロビーは穴場かもしれない、ということで、ちょこちょこ行って、「誰か~」戦法で地道に見つけていこうかなと思っています・・・。

夜は、「THUKI HOUSE」という劇場で、モンゴルの伝統的な踊りや歌をやっている、ということで、ツーモと見に行きました。
ホーミーはすごい!!話に聞いていただけで、実際に聞くのは初めてだったので、ほんまにびっくりしました。どこから声を出したらあんなんになるんやろってくらい。
馬頭琴の音色もすごく良いし、軟体ショー?も少しだけあったんですが、めちゃめちゃ体柔らかくて、驚きでした。
モンゴルの伝統的なものを少しずつ見せてくれて、1時間半700円。
モンゴル文化あんまり知らない人は、結構見る価値あると思いますよー。

ちなみに今日は雨です。ツーモの家からバスで事務所に通っているのですが、雨のせいなのか?いつものバス停より1つ手前で降ろされました。
さらに歩道も車道も大きい水溜りだらけ。5センチは溜まっているであろう水溜りなので、どこを通れば無事事務所にたどり着けるか、さらに車も気にしながら、結構大変でした。

ついでに言うと、モンゴルの交通事情は最悪です。
短い夏の間に済ませなければ、とあっちこっちで道路の補修作業をやってるんですが、がたがたの道プラスいろんなところに掘り返した土やアスファルトの山が。それを避けながら車も人も通行してるので車線とか関係ないし、さらに大きい交差点の信号は止まってるし、しょっちゅう事故があるみたいです。

2010年8月16日月曜日

アベラさんCOME BACK

金曜日、とうとうアベラさんが戻ってきました。
元気そうでよかったです。

アベラさんに今までの流れを説明し、3日目のデモのルートや、方法をみんなで話し合いました。
簡単に言うと、結構人数が多いし、たくさんの人に知ってもらいたいので、サーカス場と相撲会館の2箇所に集合し、ビラを配りながら歩き、スフバートル広場に集合してアピール、という感じでいこうとなりました。
ただモンゴルはめちゃめちゃ車社会なので、主要道路を2箇所も使えるか、警察に交渉しないといけません。ガンバの腕の見せ所です。

土曜は、日本人墓地跡に行ってきました。
第2次世界大戦の後、満州にいた日本人兵がシベリアに抑留された際に、1万人くらいがモンゴルにも連れて行かれ、強制労働させられ、1000人くらいモンゴルで亡くなったそうです。
私が行ったダンバダルジャーは、そのうち800人くらいが葬られていた地でした。
今は、遺骨を全部掘り返し、供養して日本に持って帰ったので墓地跡なんですが、
何もない、少し小高いところに慰霊碑が建っていて、その日は風も強く、寒かったので、こんな寒いところで、戦争も終わっているのに日本に帰れず、亡くなってしまったんだなぁ、と思うと、こみ上げるものがありました。
私のおじいちゃんもシベリアに抑留されて強制労働させられていたから、人事じゃないなと。
ちょうど、終戦間近の日にここにこれて手を合わせられたことは、よかったなぁと思いました。

その後、5日の観光の下見にツーリストキャンプに行ってきました。
モンゴルのいいところは、何もないところ。ということで、ほんとに何もないところです。草原があり、山があり、遠くで羊の群れがあり、ゲルがある。それだけです。と言ってもウランバートル内なので、めちゃめちゃきれいに星空が見えるかは少し心配ですが・・・遠いと大変やし、ゲルの中にトイレとシャワーもあり、まぁいけそうだな、ということで、ここに決めました。
1泊、4人部屋で40,000トゥグリク(2,600円)激安ですねー。
寒いので、キャンプファイアーもしてくれるそうです。
火にあたりながら、ボートク(モンゴルの伝統的な料理)を作ってもらって、暖かいちょっと大きいゲルの中でご飯食べて、星見て、盛り上がれたらいいなぁと思っています。

14日はオカの家にホームステイ。オカは同窓会に行ってしまったので、なぜかオカの旦那さんと散歩することに。スフバートル広場や、朝青龍の作った公園や、ガンダン寺に行きました。
翌日はオカと、ホーショル(揚げ餃子)を一緒に作りました。揚げたてはおいしかったー。

15日はツーモの家にホームステイ。これからは彼女の家で当分ホームステイです。

そういえば、前に宇佐見さんがJICA大阪に泊まってる間、スペイン語ばっかり喋ってるからスペイン語の夢見た、って言ってたけど、私も今日夢の中で英語喋ってました。慣れない英語をずっと考えてると、寝てても頭が英語を考えてるんだなぁと実感。まぁでも私が話しているのは英語とモンゴル語が混ざった、ぐちゃぐちゃな言葉ですけど・・・

2010年8月12日木曜日

介助者プロジェクト

今日は事務所静かな感じです。
バヤールとズラスはパキ、ネパ、カンボジアのビザをモンゴルの空港でとれるよう申請に行きました。私はシャフィックの返事を待ちながら事務所でお留守番です。
ゲルレは一昨日おばあさんが亡くなって今休んでるし、ガンバはなんか体調崩した?みだいだし、チョカと二人っきり。チョカは忙しそうに書類を作成しているし、外は雨が降って雷もなっているので、ブログでも書くことにしました。

特に何も出来事がないので、セミナーと直接関係ないんだけど、モンゴルでの介助者プロジェクトについて少し書きます。
実はモンゴルでは、介助費用がもらえる制度があります。この制度がめちゃめちゃしょぼいんです。
介助費用として月に24,000トゥグリクもらえますが、これは日本円で1,600円程度。
(モンゴル情報。月500,000トゥグリク(32,000円)ほどあれば、まぁ普通に暮らせるそうです。ちなみに障害者の年金は月40,000トゥグリク(2,600円))
しかも、介助者というのは、大学生だめ、働いている人もだめ、年金もらってる人もだめ、という、なんもせずぷらぷらしている人しか使えないそうです。
これではほとんどの人が適応されず、金額もめちゃめちゃ少ないため、家族介助に頼らざるを得ない状態です。

そこで、バヤールたちは労働福祉局に交渉して、自分たちで考えた介助者の仕組みを実践したいからそのためのお金を出してくれ、と交渉し、9月15日から6ヶ月間プロジェクトを行うことになりました。ウランバートルに住む障害者20人くらいがモデルとして介助者を使います。
もちろん、介助者は大学生をはじめ、幅広く募集し、介助内容も、外出介助から家事援助までさまざまな内容のことをやります。
2007年にも1年間、大学生のボランティアを集めて介助者プロジェクトをやったそうですが、ボランティアではやっていけない、まぁまだ時給としてちゃんと払えるほどのお金はでていないので、ボランティアにちょっと交通費払える程度かもしれませんが、このプロジェクトがうまくいけば、6ヶ月後も継続し、それぞれの利用者に必要な時間数を派遣できるように、介助者にもちゃんとお金が払えるように、大きくしていきたい、と言っていました。
バヤールたちがやりたいことを、政府と協力しながらできていってるのは、先につながっていくことなので、いいことやな、と思います。

9月のセミナーの話としては、モンゴルの大統領からメッセージを送ってくれることになったそうです。
養護学校の生徒も20人くらい来ることになったみたいだし、どんどん大きくなっていってます。
私は今日からまたホームステイです。ツーモさんという一人暮らしをしてる女の人の家に泊まります。
障害は、子供のころ頭にボールがあたり、それからどんどん歩けなくなっていった・・・ってバヤールから聞きましたが、いまいちよくわからないです。今年のダスキンに申し込んだけど落ちたって人です。

あ、後アベラさんがやっと帰ってきて、明日から事務所に来ることになりました。
やっとモンゴルメンバーがそろいます。

2010年8月10日火曜日

日常な感じ。

月曜からはまたセミナーの準備を進めています。
3日目のデモ、アピール活動のルート、方法を考えたり、チンギスハーン空港には機内用の車椅子がないらしいので、それを用意して欲しいと交渉しなあかんなぁ、と話したり・・・まぁ私はモンゴル語が全然わからないので、バヤールが通訳してくれた内容しかわからないのだけど、チョカがほんとにまじめでしっかりしているので、多分、ほかにも細かいこといろいろ手配してることだと思います。
私は、アジアメンバーとの連絡と、誰かがどこかに出かける、と言えばとりあえずついていく、というのが日課です。

今日は、アジアメンバーのビザのことで、外務省に行ってきました。
バヤールが、ずっと外務省に電話してたんだけど、全然連絡とれなくて、もう直接行こう、ということになったんですが、外務省、窓口は午前2時間と午後1時間しかあいてない。人もたくさん並んでるし、なんかせわしなかったです。
バヤールの話によると、パキ、ネパ、カンボジアは北京に行ってビザを申請しないといけないらしい。そうなると、北京に1泊したり、ルートを北京経由にしないといけなくなったりするので、明日もう一度外務省に行って、モンゴルの空港でビザをとることはできないか、話をすることになりました。
早くビザのことをはっきりさせてうまくいく方法を見つけたいと焦るけど、私はバヤールに頼るしかないし、外務省もあいてないし、なかなか難しいです。

それから、今日は次期ダスキンメンバーに選ばれた、視覚障害(弱視)のゴンチゴが事務所に来ました。シャイな感じで、声も小さく、日本語も全然でしたが、とにかく、日本語をたくさん覚えて、日本でいろんな人と話して、いろんなところに行って、いい経験をたくさんしてください、と話しました。
そう言いながら、私も、モンゴルでいろんな人と喋って、いろんなところに行って、いろんな経験しないとなーと改めて思いました。

明日は、労働福祉局に行きます。
ここが、各地方から来る障害者の交通費を援助してくれるところです。

そうだ、佐藤さん退院したとバヤールから聞きました。退院おめでとうございます。
こちらは、チョカがじょくそう出来ていて、たまに熱が出るみたいです。
毎日めっちゃ働いてるし、結構心配です。

2010年8月8日日曜日

スリ

やられましたー。
スリにカメラを盗られました(>_<)

昨日は、みんなで馬に乗りに行こう、と、少し郊外へ。
なんか、アメリカ人のポールが、乗馬がせき損やCPにとってリハビリになる、という研究をしてるらしく、無料で馬に乗せてくれて、さらに交通費として5000トゥグリク(330円くらい)までくれる、というところに行きました。
乗馬による上下左右の運動が、歩いているような感覚で、足腰が鍛えられる、というようなことを英語で言ってました。多分。
バヤールは、障害者になってから初めて馬に乗る、ということで、最初は不安定だったみたいですが、全然問題なく乗れていました。
私もみんなが終わってからちょっと乗らせてもらいました。
最初は一人で乗ってたんだけど、私の馬が歩くのが嫌いな馬らしく、すぐわき道にそれて草ばっかり食べるので、途中からは引いてもらいました。
でもおもしろかったです。次は一人で乗りたいです。

その後、モンゴルホテルというところでロックフェスティバルをしているから少しだけ見に行こう、ということになりました。
モンゴルホテルは、トラディショナルな感じのホテルで、ゲルに泊まることが出来る、高級ホテルです。ホテルの中自体は全然人がいなくて、外でロックフェスティバルがひらかれてる感じでした。
モンゴルで有名なシルバーツリーの下で写真を撮ったり、のんびり歩いていたのですが、ロックフェスティバルをのぞこうと扉に身を乗り出したときに、どんっ、と知らない人に当たられました。
この人そんなフェスティバル見たいんかなー、とか思いつつ、一応不審に思ったのでかばんは気にしてたのですが、少し経って、カメラがない!!!
いつもはカメラもかばんになおすのに、たまたまポケットに入れていたのです。当たられたときに盗られたみたいです。高級ホテルやと思って油断してました・・・
ほんとに、気の緩みを狙われるんやなぁと、実感。
みんなも見られてますよ、気をつけてください。

今日はチンギスハーン像を見に行きました。
なんもないところにどーん!と建ってます。
めちゃめちゃ寒かったです。
中にエレベーターがあるのですが、3階までしか上がれず、狭い階段を上がって4階に映像、5階が展望台になっていました。どうせなら全部エレベーターであがれるようにすれば障害者もあがれるのに、なんか惜しい感じです。バヤールたちは下で待っていました。

今日から3日間、事務所に泊まります。

あ、そういえば、ズラスの彼女にモンゴルホテルで会ったんですが、柴田理恵にそっくりでした。
それを写真に撮ろうと思ってカメラが盗られたことに気づいたんでした。

2010年8月6日金曜日

サプライズ!

昨日は朝からアジアメンバーとメールで連絡を取ったり、廉田さんと連絡を取ったり結構忙しく過ごしていました。
夕方からは、9月のモンゴルセミナーの会議が開かれ、残り1ヶ月何が必要か、いろんな役割を責任者をたててやっていこう、という話をしていました。
これからセミナーの会議に参加するメンバーは、バヤール、チョカ、ガンバ、アベラ、ズラス、ゲルレ、オカ、ドーギー、青井の9人です。(ちなみに今アベラさんは少し体調を崩していて、実家のほうに療養に帰っているそうで、まだ私は会えていません。)
モンゴル主要メンバーは5人、と聞いていたけれど、ポリオのゲルレと、健常者のドーギーが入り、障害者6人、健常者1人になっていました。ポリオのオカは最近までデパートで働いていて、今はスタッフに入りたい、とセミナーを手伝っている状態です。
で、会議が終わって急におつかい頼まれ、コンビニに行って戻ってくると、
「HAPPY BIRTHDAY!!」
と、ケーキが!
モンゴルメンバーが歌を歌ってくれ、シャンパンをあけて、プレゼントに財布をくれました。
なんか1日忙しかったから、まさかこんなサプライズがあると思わなくて、びっくり。
すごく嬉しかったです。
その後、みんなで夜ご飯を食べに行きました。ゲルの形をした店です。
それからザイサン丘に行って、夜景を見ました。
29歳、いい誕生日でした。

今日は、朝からJICAの佐竹さんという女の人が来ていました。
理学療養士さんで、リハビリを紹介するビデオを作っていて、モンゴル語に翻訳するのをバヤールにお願いしていたそうですが、今度のセミナーもぜひできることがあればお手伝いがしたい、とのことでした。交流会等たくさん通訳ボランティアがいたら助かる、という話をし、声をかけてみるといってくれました。

それから、VSOのADAさんが来ていました。去年介助者を使うプログラムを行ったときに、支援してくれた団体だそうです。今回もボランティアの支援をしてくれるそうです。
今、モンゴルは夏休みで、普段関わってくれているボランティアもみんな田舎に帰ってしまっているそうです。8月25日には戻ってくるみたいなので、ボランティアと話ができるのはそれからになりそうです。

昼からは会場のホテルをもう一度見に行きました。
会場のトイレが普通のトイレしかないのですが、扉を全部はずして、カーテンにかえ、車椅子でも入れるようにしてくれるそうです。

今日はそろそろ帰ります。では。

2010年8月4日水曜日

寒い!

モンゴルは今結構寒いです。
今日もぱらぱら雨が降っていて、風も強いので余計に寒く感じるんだと思います。

昨日は、ゲルレとオカという女の人に、モンゴル語を教えてもらっていました。
ゲルレは29歳同い年で、5歳の子供がいます。ポリオです。
オカは26歳で1歳の子供がいます。多分せき損。
2人とも合間に私にモンゴル語を教えてくれたりしていましたが、今度のセミナーの件で政府への交渉文を書いたり、マスコミのリストを作って連絡を取ったり、こまごまと働いているみたいです。

後、一人、健常者のボランティア、ドーギーが毎日のように事務所に来ています。
ソーシャルワーカーを大学で専攻し20歳で今年卒業、そのままバヤールの事務所で働くことになりそうです。
よく動く、かわいい女の子です。
昨年から関わっていて、とても楽しいと言っていました。

それから頸損の人のお葬式に行くとのことで早めに切り上げ、私もついていきました。
都会の中心から離れ、川を渡ったところで、でこぼこの大通りからはずれ、さらに山道のような土の道をがたがたと進み、木の板で囲まれたゲルが彼の家でした。
ゲルは水道がないから水を汲みに行かないといけないし、道もがたがたで、言ったら草原の真ん中に板で囲ってゲル建ててるみたいなもんなんで、町に行くにも大変だし、こんなところで障害者が暮らすのは、かなり厳しいです。モンゴルは都会ができてきているけれど、その分物価があがり、障害者はお金がないので都会のマンションには住めず、ゲルで暮らしている人が多いそうです。
モンゴルではバリアフリーの法律ができたり、障害者の法律がいろいろあるんだけど、建物は階段だらけだし、バスは障害者は無料で乗れるけど階段だらけで乗れなかったりと、それがモンゴルには全然合っていないのが現状です。
バヤールたちはバリアフリーチェックを頻繁に行ったり、政府に交渉しにいったり、結構活発に活動しているみたいです。

話戻って、その後、チョカの実家に寄りました。チョカも1ヶ月前までは家族とゲル(と、ゲルの横に小屋を建ててそこに住んでいた)に住んでいました。
ゲルの中も見せてもらい、めちゃくちゃモンゴルって感じでした。

今日は、9月のセミナーで使う会場のホテルへ交渉に行くのと、日本文化センターに行って、通訳の件とか話ししに行くそうです。
ついていきます。

2010年8月2日月曜日

無事モンゴル着きました。

北京からウランバートル行きの飛行機がコントロールの不調?かなんかで1時間半遅れになったけど、無事モンゴルに着きました。
バヤール、チョカ、ガンバ、ズラスが空港に迎えに来てくれてました。
ガンバとズラスが運転で、車2台で来てくれてましたが、全員車椅子。
その辺の人に車椅子は車に積んでもらうそうです。
とりあえずチョカ、ガンバの家にホームステイすることになりました。
チョカとガンバは1ヶ月前から2人で暮らし始めたらしく、小さいけどきれいな部屋です。
でも入り口には相変わらず階段が。入るときは人手が必要になります。

日曜は、買い物がてら、ウランバートルで一番大きい、ナラントールザハ(雑貨市場)へ。
すごい車ですごい人でなんでもかんでも売っていて、ちょっとびっくり。
私は寝袋だけ買ったけど、ガンバがいろいろ買い物してました。
携帯電話を買ったり、スーパーへ行ったりしてたんだけど、その間に、モンゴルメンバーの1人が自宅で倒れ、救急車で運ばれた、と連絡が入りました。
脳内出血で、結局そのまま亡くなってしまったそうです。1人暮らししている頸損の男の人(34歳)だそうです。
本当は今日私の紹介とかあったんだけど、それどころじゃなくなってしまって、明日のお葬式の打ち合わせ等で忙しそうでした。

モンゴルの印象。
ウランバートルはとりあえず都会だ、と聞いてきたけれど、道路がすごくでこぼこで、舗装もあまりされていないから砂埃がすごく、一瞬でどろどろになります。
都会っていうのは、ビルが建っているというだけでなく、道路がちゃんと舗装されていて、砂埃が立たない状態のことを言うのであって、ウランバートルが都会かどうかは、微妙やな、というのが正直私の印象です。ただ、モンゴル人はみんなめちゃくちゃ手伝ってくれます。どこもかしこもバリアだらけだけど、すぐにみんな手伝ってくれる文化なんだろうなと。
ご飯のことはすごく心配だったけど、最近のウランバートルではだいぶ事情が変わってきたらしく、あまり羊は食べなくなってきているそうです。チョカもガンバもそんなに羊は好きじゃない、とのことで、チョカの作る料理は結構おいしく、初羊は今日事務所で昼ご飯に食べたボーズ(肉マンみたいなもの)でした。なんとかやっていけそうです。
そういえば、ガンバの家はお湯が出ず、今日事務所でもなぜかお湯が出なかったので、近くのサウナに、2日ぶりにシャワーを浴びに行きました。サウナは1回1000円くらいするので、そう毎日も行けそうになく、このまま事務所がお湯が出なければ、困ったなぁと・・・。